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引越し初夜と寂しさと(長い)

なんとか引越しまして

ダンボールに囲まれています

片づけ?うん

 

この辺は

前住んでいたところよりも

ずっと地元に似ていて

のんびりとした時間が流れています

 

公園や川があり、家族連れが多いです

 

窓を開けてお隣の1歳の子の声が聞こえた時

心がぎゅううううってなりました

腐敗した脳の奥底のそこにあった

一応の母性本能に違いない

うん

 

ああ、私もちゃんと

「日本人の母」候補だったか

 

 

 

 

「日本人の母」

これは私が大学に入学して出会った

宗教に造詣の深いある先生のお言葉です

 

そもそも宗教、信仰とは

大いなる存在に身を委ね安心しきった状態(=救われている)

になるためのもの

 

これは物心つかない乳飲み子の状態になるということです

赤ちゃんはお母さんの腕の中を

安全だと信じてやまない

全てはお母さんに委ねられている

 

しかしやがて人は反抗期を通して母から離れ

一人で立つ苦しみに襲われる

その苦しみを救ってくれるのが

偉大なる父でありアッラーであり阿弥陀如来であると、

そういうこと

 

ここでお母さんの立場から考えると

赤ちゃんは自分の中から出てきたいわば分身

 

先生がこの話をしてくださったのは

”人は自分を経験するために他人を必要とする”

二元論を考え方の柱に置くゾロアスター教に関する講義の時のことです

 

赤ちゃんを産み、育てることは

とてもとても大変なこと

けれど、何にも替え難い

自分の心の底から湧き上がる

慈悲は

子供を抱っこ紐で抱いた時に

感じることができるものなのだと

つまり

自分を感じることができる

貴重な経験である

だから子供を産み、育てなさい

 

 

私は初めてこの話を聞いた時

時代遅れなんじゃないかと思いました

「子供を産まない」

という意志も尊重されるべきだと

思ったからです

 

しかしよくよく話を聞いていると

先生はそれを当たり前だと思っているわけじゃなく

ただただ、

(男性である先生が経験できない)出産という神秘を

私たちに伝えたいのだなあと

そう思えてきました

 

 

先生は

深く深く

自己を顧みて

よりよくあろうとなされました

 

お正月に体調を崩された先生は

1年の任期を残して

今年度で退職されるそうです

 

「最後の講義です。あなたたちにお会いすることは残念ながらもうないでしょう。」

そういってもう一度

母になることの

神秘を語っておられました

「よく励め、達者でいろ。そして良き日本の母になってください。」

そうおっしゃって授業は終わりました

 

泣いてしまいました

ひとえに先生のお人柄なのですが、

話を聞いているだけの私でさえ

救われたような気分になったのです

 

授業が終わって

廊下に出てから

握手を求めると

杖を脇に抱え

笑顔で手を握り

「よく精進して、達者でいて下さい。」

そういってくださいました

 

この記憶は

一生鮮やかに持ち続けていたい

 

自ら

私はもう直ぐです

そういっていた先生が目指す

「ちゃんと死ぬ」

ことを私自身ができるまで

 

なんか不透明な文になっちゃいましたが

結局は

貴重な経験をしましたっていう報告と

一人暮らし寂しいってことです